さらに大きな問題だと考えていたのは、学校での困りごとを相談する「教育相談」という時間を使って、担任にM君とのことを相談していたにも関わらず、状況を変えるために行動を起こさなかったことです ただびーとから話を聞いて、席替えしようねと軽く言い、そのまま放置です そしてこのびーとの相談内容は、誰にも共有されていませんでした 担任一人が聞いただけ そもそも仕組み的にも問題があったように感じます 少なくとも学年全体、教頭先生さらには校長先生にも問題を共有し、関係する教科担の先生たちにも配慮を指示するべきだと思います 学校としてそれらのことがなかったのは非常に残念ですし、むしろそこまでやって初めて「教育相談」という時間を持つ意味があるのではないでしょうか
教育委員会の方はそういった点についても指摘され、対応に落ち度があったこと今後は改善が必要だということを指導されていました また、謝罪についてどうするかという件についても提案がありました 少なくともこういった状況に追いやったのは担任の怠慢に外なりません しかし、実際にびーとに対しどういう形で謝罪するのがよいか分からないのも正直なところでした 当時の担任は、よく言えば感情豊かと表現するのでしょうが、率直に言うと思ったことをすべて言葉に出して、相手の感情を逆なでするようなところのある人です 実際私も何度もその失礼なものの言い方にイラっとしていました そんな感じでしたので、教育委員会の方もびーとへの直接の謝罪について、どういった方法でなされるべきか思慮されている様子でした あまりにも直接的な言葉で、こと細かく具体的に話されると、少しずつ薄らいできている感情がまた復活してしまうことを警戒していました 教育委員会の方らか担任に対し、どういった言葉がけをすべきか具体的な指導があったようです
そうなってくると本当に担任からの謝罪というものが本当に必要なのか、かえって思い出すことになって逆効果かもしれないとも考えました はじめてこの件で担任と話した際に、びーととM君をセットにしてクラス運営をしていたことを完全否定し、自分に非がないかのように話した、担任が私は許せなかったんだと思います だから、事実を明らかにするとともに、過ちを認めてもらいたいと考えていたんです 心からの反省なのかはわかりませんが、彼女がオロオロとして自分はなにをどのように言えばいいのか、教育委員会や校長先生に対して聞いている姿をみると、なんともやるせない気持ちにもなりました
ことの原因は担任、または学校全体にあると考えているわけで、不登校になっているのはびーとのせいではない なのに、家庭の問題として学校が切り離しにかかっているような現状については阻止しつつ、今後も手厚くサポートしてもらう必要があることを訴えました 何よりも心配であったのが、次年度になって今かかわっている人たちがいなくなり、責任の所在があやふやになっていくことでした 少なくとも担任は変更するでしょうし、校長先生も定年になると聞いていましたので、早めに対応してもらう必要を感じていました 教育委員会の方もその点で協力をしてくださるとのことでしたし、3者で連携していくようにしていきたいとのことでした この日の協議は学校からの回答を聞き、さらにいくつかの質問を重ね、お互いの認識を一致することができたと感じることができました そういった意味で成果があり、進展も見られたと思います
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